先日読んだ『100万回の言い訳』が
とても読みやすく、唯川恵さんの小説は
機内で読むのにピッタリと
旅行に持って行ったのが『永遠の途中』

同期入社のふたりが
同じ人を好きになり、
「私は仕事に生きる人間じゃない」とひとりは
駆け引きのあと、見事彼の妻になって専業主婦へ。
そしてもうひとりは独身でキャリアを積み続ける。
対照的な人生を歩みつつ、
相手の生き方を羨んでしまうふたりの30年間ちょっとのお話。


旦那の浮気に対抗して(「あたしばっかり損してる」と)
昔の恋人に会うのに、浮き足だっておしゃれしていくも
「マヂデ!?Σ(;∀;ノ)ノ」とその変わりように
早く帰ろうとタイミングをはかる姿や


「もう仕事に疲れた、私を守ってくれる誰かとの出会いが
入ってるかもしれない」と「見るだけなら…」と言いつつ
期待しながら開いたお見合い写真に
「Σ(゚Д゚;;)ノェェェェエエエエ」
どこかで会っても、言葉を交わしたくないような
ルックスの年上の男性(しかも子どもがいるバツイチ)
世の中にしてみたら、これが自分にお似合いの相手なんだ…
自分を何様と思ってたんだろ…って落ち込む様に


あっ、リアル…と
主婦も独身のキャリア女性もやったことないのに
「あたしみたい…」って自分を重ねてましたよ。


確かに女性は結婚、出産、子育てと
環境によってトランスフォームしなくちゃいけず
友情も、変化していくし
自分とは違う立場の相手を羨んだり
やっかんだりするかもしれない。

でも、あたしは高校時代の、予備校時代の
10代のころの女友だちとの出会いに
「神様、もうこれで十分です。
彼女たちとこの先ずっと会っていけるなら
ほかに何もいりません!」
って誓ったんだ。

嘘です。(ノ´∀`*)

20歳を過ぎても、そして今も
いっぱい素敵な女友だちに出会えたし、
恋愛も、アレもコレもって欲望や望みは
尽きないんだけど。

でも、やっぱり「彼女たちがいるなら、
ほかの何を失っても、やっていける」
って
あたしの「強さ」の元になってるのは確か。
(実際、やっていけるかどうかはわからないけど)

でね、そのうちのひとりK子の命日が明日で
友だちとお墓参りに行ってきたんだ。

ブログにも書いたけど、彼女は2年前に
ガンで急逝しちゃったのだ。


それこそ、この小説のように、専業主婦で
「いいなぁ、あんたはいいなぁ、
お金も自由に遣えて、好きな場所に行けて」
「でも、K子には家族も子どももいるじゃん」
「子どもがいても、孤独は孤独だよ」
「家族がいる孤独と、この先ずっとひとりの
孤独はまた違うよ!」

そんな会話を高校時代から20年繰り返してたのだ。
この先もずっと続くと信じてた。
当たり前のように。


いまだに「こういうときK子ならなんて言うかな?」
「このネタ話したら喜ぶだろうな」って
空に向かって語りかけるよ。


でもね、やっぱりそれは“思い出”で
今日だってお墓に向かってしゃべりかけても
彼女の言葉が、笑い声が聴ける訳じゃない


『千の風になって』とか
そういうのは残された者の慰めだと思う。

すごい非情なこと書いているけど。

なにが言いたいかっていうと
“永遠”なんてない。
やっぱり「生きている」うちに
届けなきゃいけない。

人は“生もの”だもん。
「友だち」だって、「家族」だって
「恋愛」だって、風化していっちゃう。
親しき仲にもなんたら、だし
その関係に甘んじてちゃいけない。

連絡したい人には連絡しなきゃ
あっという間に年月は経っちゃうし
一緒にいたい人とは一緒にいて
伝えたいことは、直接自分の声で言って

常に、その関係を“生き続け”なきゃいけないと思うのだ。