えっと、いまさらですが『SPEC』最終回デス。
でも「起の回」

野々村係長が、一+一の遺体を前にして
何を見て驚いたのか。
当麻の左手の件とか、納得いかない点も
あるんだけど、
それ以外はOK!
ラスト、時ヲ止メたのが当麻なのも
「脳の残り90%に可能性を賭ける」
「命ある限り、すべては変えられる。
希望は、絶対に消えない」

このドラマのテーマでもあったわけだし
あたしは、あの教会シーン
心臓バクバクしながら観てたもん。

(城田くん、演技上手し)

いまのドラマって同じ俳優のローテーション
(一般視聴者に本当に人気があるかも?)
同事務所のミュージシャンの主題歌。
すべてが予定調和で、それこそ誰かが描いた
シナリオ通りに、ドラマそのものが
つくり出されてるみたい。

でも「テレビ、なめんなよっ!視聴者なめんなよっ!」
加瀬亮くん演じる瀬文風に
「SPEC」気合いで、世界の中心で叫んでみたい。
(一時的に失明した演技は鬼気迫ったもの。
あたしの中で加瀬亮=和製エドワード・ノートン任命)

次に何が起こるのか、
自分が歩いてきた道は、記憶は、正しいのか?
信じてきた真実は?

そんなあやふやな毎日だから
あたしは、信じたいんだ。

(宗教や自己啓発に走らないけど、決して)

その答えを、このドラマと共感できたのだ。

人間の《記憶》は“脳”にだけ刻まれるんじゃない、って。

こっからは、少し怖いお話です。
乙女度高し、と、みなさんが受け容れてくれればいいけど。

あたしね、彼と出会って12年間。
(ヒイィィィ!!!!(゚ロ゚ノ)ノ 干支ひと回りしちゃったよ。)
バイバイするとき、寝る前にも
必ず《握手》してきたんだ。ええ、12年間ずっと。

それはね、結婚や同棲している人と違って
物理的に“明日”が繋がってないから
喧嘩したら、そのまんまになっちゃう。
だから、どんなに言い合いしても、すれ違っても、
その日のいざこざは「その日のうちに、ハイ終了!」

とりあえず「握手して和解」ってのもあるんだけど
(彼は、そう思っている)

NO!NO!NO!

あたしの本当の目的は、彼に、あたしのこの手の
指の、ぬくもりの記憶を刻みつけることなのだ!!


いや、出会ったころね、父がガンで闘病していて
病や痛みに苦しんでるときも、
抗ガン剤で意識が朦朧としてるときも
家族や、お見舞いに来た人は
みんな《手を握る》んですよ。
(耳も聞こえてるから、患者を不安にさせるようなこと
話さないでください、と言われた)
あたしは、それを見てね(友だちが死ぬときもそうだった)
もちろん死の淵に立ったときだけでなく
(彼だけでなく、お互いね)記憶を失くしたとしても
たとえこの先長い間会わなくても、

この握り合った手さえ触れれば、交わせば
ふたりが過ごした日々が、感情が、記憶が
甦るんじゃないか、って。

《記憶》は“脳”だけでなく“体ぜんぶ”が
覚えてるじゃないかって、いっつも思って

(怖いですね、ハイ、執念ですね)
彼と《握手》してきてるのだ。

この記憶を改竄された当麻が言っていたように
「つらいことや、悲しいことも、私の財産」

「忘れる訳がない、こんな大切なこと。
私のここ(胸)は、全部覚えてる!」


生死をさまよう瀬文のベッドにうつ伏せて
うたた寝する当麻。
ふたりの姿が、どんなラブストーリーより
胸に届いたよ。