「ねえ、柊二、この世はキレイだったよ
あなたと会って、ラスト何ヶ月かで、私の人生は
星屑をまいたように輝いたんだ・・・」

・・・ここでB’zのテーマソング入るっ♪
木村拓哉と常盤貴子の『ビューティフル・ライフ』
ああ、こんな風に最期は「ありがとう」って好きな人の顔を見て死にたい。


30年生きていたら、卒業、失恋、そして死
家族、友人知人、いろんな人との別れや
悲しい経験も、それなりにしてきました。
でも、いつも乗り越えてこれたのは、
あたしが「妄想屋」さんだったから..。.:*・゜(n‘∀‘)η゜・*:.。.


自分の死はもちろん、親が死ぬところなんて
小さい時から、いくらでも妄想して、その度に泣いていたし(嫌な子供)
ヒマなときは、自然災害やら人災やら、恋の終わりやら
いろんなパターンの「別れ」を想像しまくり。
(みなさん!あたしの脳内で何度か殺されてますよーー)


だから、実際“その時”がきたとき、もちろん悲しみはゼロにはならんけど
多少免疫が出来ているのですよ。
それが、あたしが「強い」って言われる所以かな。想像力って大切(非人道)


ただ、もしもあたしが死んだら、少しでも悼んでくれる人たちに
観てもらいたい映画があるの。


『マグノリアの花たち』



アメリカの小さな町に住む女たちの心の交流と友情の話。
ジュリア・ロバーツ扮するシェルビーは、子供を産んではいけない体。
それでも、「好きな人の子供が欲しい」と、みんなの反対を押し切って・・・
そして・・・って話なんだけど(ジュリアは今作でアカデミー助演賞初ノミネート)
抗えない悲しみに打ちのめされる、彼女の母親(サリー・フィールド)と
その女友達のやり取りが最高にいいの。いや何もしないんだよね。
ただいつものように喧嘩して泣いて、笑って。


だって、どんなに悲しい別れが訪れても
人生は続いていくんだもん。世界は変わらず動いていくんだもん。
喪失を“力”に変えて、生きていくしかないんだもん。


友人が、事故死しました。(←リアクションに困るネタ)
突然の訃報に、みんなは一種のパニック状態。
お葬式が行なわれる静岡までの道中
「どんなに悲しんでいるのか」テンション上げ上げ。
しまいには、参列できない人間に対して「悲しみが足りん」と
戦犯裁判の様相。
そんな輪から外れて、あたしと女友達の、らぶちゃん。
「・・・静岡まで来たから、うなぎ食べて行こっか・・・」
「やっぱ静岡は、うなぎだよね・・・」
どちらともなく言い出した“うなぎ”
ただ文字にすると、凄い不謹慎な会話なのかもしれないけど
そのとき、あたしは彼女のことが心から信頼できたんだ
「ああ、彼女とは、ずっと友達でいよう」と。


人の死をブログのネタにして、天国の親も友人も泣いているよね。
ああ、でも今さら戻れないの、地獄への道(『コンスタンティン』)
生まれ変わったら、良い子になります。リインカネーション♪