昭和天皇が亡くなる時に
手塚治虫、ひばり、裕次郎が亡くなって
昭和がいっせいに終わったけど
SMAPが解散して、安室が引退して
天皇も退位して、平成が終わってゆく。


2017年9月20日 7時前に
安室のファンクラブからメールがきて
誕生日のこと?と開いてみたら

エェ━━━━━( ゚Å゚;)━━━━━!!?
職場で大声で叫んじゃった!

そっからは、もうLINEが
ダ――――って、きて。

なんで?!
でも、もう一般人には分からないよね。
歌手になりたくて、毎日何キロも歩いて
沖縄アクターズスクールに通い
その夢が叶い、10代で日本中のブームになり
結婚、出産、
凄まじい光を浴びた分、影も濃くなり。
母親の死、そして復活。
自分が決めたら、揺るがなそうだし。
彼女のインタビューで、

「安室奈美恵」は誰にもなれないし
私もほかの誰かにはなれないし、その必要もない。


「ふたつのことは同時にできない。
歌うことと踊ること以外は」


「昨日の自分に満足しない
その気持ちが私を動かしているんだと思う」

「簡単にダメだと折れるのか
それともどうにかしてやろうと立ち上がるのか。
私は後者のほうが楽だと思う」


ある意味、ありふれた言葉かもしれない。
でも、それを安室奈美恵が言うから
言葉がドラマティックに響くんだよね~。


明菜とユーミンは僕の青春だった。
僕の恋愛の基盤だった。
年齢もアムラー世代じゃないしwww
彼女が現れたとき、もう社会人だったもん。


最初の会社は、めまぐるしく忙しくて
毎日、終電近くで
そっから逃げるように?辞めて
今みたいに定年までひとつの会社って価値観の中で
親をガッカリさせたと、負い目を持ち続けて
その後、本当にやりたいこと!って転職した会社は
何日も徹夜しなきゃ、終わらないような仕事で
休みもなくて、また逃げた。
そして本当に逃げた。親にも連絡を取らず
1カ月以上、南米に逃げたの。
南米に行く!って小さな頃の夢でも
何かひとつでも実現させなきゃ!って
僕はダメだ!!て。


グルグル南米を回って
ブラジルからサンフランシスコの
日本街みたいなところに戻ってきて
公衆電話から、親に
「ごめんなさい」って電話してたら
涙が止まらなくて、

そのとき、お店から流れてたのが
当時から、大好きで歌って踊っていた
安室奈美恵の『Body Feels EXIT』
♪ここまでどんな道を歩いて
あなたにやっとたどりついたかを
何か見えずに、だけど何かを
見つけたかったよ、部屋にひとりきり
膝を抱えて、動けなくたってBody Feels EXIT♪


そんで、『CHACE THE CHANCE』デスよ。
♪山も谷もない道じゃつまらない
ジェットコースターにならない♪


安室と較べちゃ申し訳ないけど
大学卒業して、社会人になって
選ぶ会社、選ぶ仕事、いっつも忙しくて
帰るのも遅くて、終わりがなくて

今だって、ほかの部署の人にも
「よくやれるね。何がモチベーションなの?」とか
聞かれることが多々あって。

いやいや、なんもなくて。答えられないの。
僕の代わりなんていくらでもいるの分かってるし
成し遂げたいこともないし、
そもそもそういう業務じゃないし!
お金のためって訳でもなく
目的も、野望もなく
ただただ走ってきちゃった。

もう止まらないだけ。

あなたにとって、仕事とは?と聞かれても
本当、わかんない!(アラフィフの言葉)

そんなとき、安室ちゃんを見ていると
彼女の歌を聴いていると

(カラオケで歌ってると)
もういまや、英語なのか日本語なのか
何言ってるか分からないんだけどwww


あぁ、頑張らなきゃ、足元なんて見てられない
(理由とか言い訳とか、考えてられない)
次の一歩進まなきゃ、って。
そんで続けていけば
同じように何かあった時、
次は乗り越える術や
力がついてる
かなぁ
、って、
そんな気にさせてくれる
存在だったのです。

僕の社会人としての指針。

安室ちゃんが歌と踊りから離れるなんて
よっぽどの決意なんだろうなぁ。

初めて観に行った千葉マリンスタジアムから
もう21年!その間にライブで聴いた肉声は
「今日はありがとうございました、
また来てね〜」だけwww
歌とダンスと、生き方だけを見て、ここまできたよ。
あぁ、来年までのライブチケット
すごい争奪戦になりそう。
ファンクラブ会員限定とかの日もほしいよ。
いっそドームでもコンサートやってほしい!



SWEET 19 BLUES のアルバムジャケット真似て
なんでもかんでもモノクロで写真を撮ってたあの頃。

今回のコンサートもちょうど一年前だった!→こちら